小田急小田原線秦野駅 または JR東海道線二宮駅から会社のバスで10〜15分。 バスの乗り場、 時刻表。
秦野発12:30、二宮発12:30または13:00発のバスに乗られますと、最初から間 に合います。入口の守衛所にて入場手続きをお願いします。
五線紙に書かれている楽譜の一部を読み込み、記されている音符の音高を認識 して、音符に対応した音を出すプログラムを作成した。 ここで用いた認識方法は、画像としてのパターンマッチングを用いたものでは なく、スキャナで読み込んだ画像の各ラインの画素数の変化から五線と音符の 玉を区別するものである。 Javaで作成した認識処理部分は中間コードで15Kバイトほどで400ピクセルX 400ピクセルの画像の認識に230msecという結果を得た。
蒸気機関はワット、白熱電球はエジソン、飛行機はライト兄弟とその発明者は よく知られているが、コンピュータを発明したのは誰?と聞かれると、はた、 と困ってしまう。チューリング、フォン・ノイマン、モークリ、いずれもノー である。 バベジの解析機関はプログラマブルだったとされているが完成しなかった。E NIACは配線によるものではあったがプログラマブルであった。でも最初の プログラマブルのコンピュータではない。それ以前に機械式ではあったがプロ グラムが組める計算機があった。 プログラム内蔵方式のコンピュータとしてEDSACは日本の計算機科学者お よび日本の初期のコンピュータに多大の影響を与えたが、最初のプログラム内 蔵方式のコンピュータではない。 いわゆるエロクトロニック・コンピュータの歴史はわずか60年足らずである。 それにもかかわらず、その歴史は、あやふやであったり、誤解に満ちていたの で、それを明らかにしたい。 それにひきかえ、日本のコンピュータの歴史は、情報処理学会が組織的に調査 をし、記録をよく残してくれているので、とてもよくわかっている。
「かくて われらが日々------」は(昭和30年代 首都圏の鉄道)というサブタイトルの 本で, もちろん「されど われらが日々」から題名を引き継いでいる. 昭和30年代はやっと日本でも計算機を作り始めた時代で, その当時の話題から 1. (メモリーがないため)プログラムをコピーしながら計算を進める計算機 2. eの値の計算競争 その他 について話すつもりにしている.
PTT の発表はこれまでに 254 回,そのうちに開催時の概要が残されているも のが約 100 程存在する.この記録を概観してみることにしようと思う.
当日は発表とデモを行いました
コンピュータの歴史はわずか60年位のものであるにもかかわらず、これ まで大きく書き換えられてきた。しかし、その個々の話は長くなるので、一覧 表をあげるにとどめる。
世界の初期の計算機 Computer 完成日 作 者 演算素子 備 考 ----------------------------------------------------------------------------- Analytical 1871年未完 Babbage 機械式 設計図のみで作成されなかったが、プロ Engine グラムの構想を持った最初の機械 Z1 1938年未完 Zuse 機械式 最初のプログラマブル計算機、 Z3 1941年 Zuse リレー プログラムは使用済み映画フィルムから ABC 1942年未完 Atanasoff 真空管 最初の電子計算機、プログラマブルでは Berry ない。連立方程式専用機 Colossus 1943年12月 Flower 真空管 電子的にディジタルに処理した最初の実用 Turing 機械、一部プログラマブル、暗号解読専用 Harvard 1944年2月 Aiken リレー 電子的ではないが最初の本格的汎用実用 Mark1(ASCC) 計算機、プログラムは紙テープから ENIAC 1945年12月 Mauchly 真空管 最初の実用電子計算機、初めは弾道計算専 Eckert 用、プログラムはパッチボードによる Manchester 1948年6月 Williams 真空管 最初のストアド・プログラム計算機 Mark1(Baby) EDSAC 1949年5月 Wilkes 真空管 ストアド・プログラムの本格的実用計算機 -------------------------------------------- 日本のコンピュータの歴史については時間切れで触れられなかったので、 別の機会にゆずる。
「かくて われらが日々------」は(昭和30年代 首都圏の鉄道)というサブ タイトルの本で, もちろん「されど われらが日々」から題名を引き継いでい る.
昭和30年代はやっと日本でも計算機を作り始めた時代で, その当時の話題 から
1. は和田の修士論文のはなし. パラメトロン計算機PC-1が出来る前, パラ メトロンの10進計算機(積和の計算しかできない)に, テレタイプと2台の紙テー プリーダをつけて, いろいろな計算の制御法を考案した. 添付のOHPにコマン ドとテープ構成法の例を示す. 例1. オートコリレーション f(t0)*f(t0)+f(t1)*f(t1)+...+f(tn-1)*f(tn-1) f(t0)*f(t1)+f(t1)*f(t2)+...+f(tn-1)*f(t0) ... を2本の輪にしたテープで制御して計算する. 例2. 2次関数表 αx^2+βx+γ x=x0, x0+h, x0+2h, ... をxのテープを作るテープ, 2次関数を Hornerの方法で2回に分けてxのテープとともに計算するテープから作成する. 例3 2行2列の行列の積の計算 AからHの8個のデータを順次位置を変え, 8回のコピーで2行2列の積の計算の式 を構成する. これで乗算を実行すると15分かかった. 別に証明はしないが, このような方法で, 任意の計算が制御でき, Turingマシ ンのように時間はかかるが, 万能であった. 2. 昭和30年代は計算機のメモリー容量が小さい為, 大抵の計算はすぐ終って しまう. 長時間計算機を稼働するため, 自然対数の底eを計算するのが流行し た. 簡単なTaylor展開, 4項まとめて展開, 1長語に収まるだけの項数をまとめ, 多 倍長計算の制度を順次伸ばす計算法があった. Illiacでは途中の剰余を磁気テー プに記録し, 次回の計算に引き継ぐことで, 6万桁計算した. その方法の例も 示した. 計算法はutilispのプログラムで概要を示す.
これまでの PTT メモを整理し統計情報をとってみた. 開催のリストから (もし名字が同じ方がいたら2度数えられてしまうが) 発表 回数について 1 位 発表回数 11 回 角田 2 位 発表回数 9 回 多田,前野 4 位 発表回数 8 回 筧,木村,久野 .... であった.また,山内の独断で題目を分類し,時代と共にどのような発表がな されてきたのかをグラフに示した.(余談であるが,このグラフはプログラミ ングシンポジウムにてプレゼンテーションツールとして誤って認識された graph plotting tool : gp にて描かれたものである.gp の作成目的はグラフ を描くことであり,プレゼンテーションは副作用である.) グラフに示した結 果は次のようなものであった. 初期はエディタ,コンパイラそのものの話題がさかんであった プログラミングや教育などの話題は時代によらずコンスタントに話題 にのぼっている. 後期になってユーザインターフェースやネットワーク,自然言語処理 の話題が登場し一定の地位を占める 日本語のテキスト処理は中期のみに出現している. これは自然言語処理に形を変化させたのではないか 最後に出席状況を示した.これは記録は最近のものしか残っていないことを考 慮に入れて見るべきものである. 1 位 出席回数 65 回 伊知地宏 2 位 出席回数 56 回 田中哲朗,岩崎英哉 4 位 出席回数 54 回 石畑清 5 位 出席回数 49 回 和田英一 6 位 出席回数 48 回 多田好克 .... 254 回の懇親会にて出席者の一位の予想がなされたが,その場の予想とは異なっ ていた.ただし,この記録の元となったデータは基本的に 139 回以降しか残 されていないことを再び強調しておく. 会場では PTT の前身の CAP についての話題や,記録についての寸評が述べら れた.また,祝賀会の会場ではこの統計情報の表が肴となっていたようである.
[祝賀会&忘年会会場] 日時: 12月21日(火) 18:30 - 20:30 場所: 浮浪雲(はぐれぐも)本店 (Tel. 0462-27-4937) [小田急本厚木駅より徒歩1分]